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竹林軒出張所

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『FAKE』(映画)

b0189364_2151755.jpgFAKE(2016年・「Fake」製作委員会)
監督:森達也
撮影:森達也、山崎裕
編集:鈴尾啓太
出演:佐村河内守、森達也

バッシングされる側の論理

 ゴーストライター問題で大バッシングを受けた「作曲家」、佐村河内守のその後(バッシング後)を追うドキュメンタリー。
 かつては「現代のベートーヴェン」などと持ち上げられるだけ持ち上げられた佐村河内、その後、当の「ゴーストライター」であった新垣隆が『週刊文春』のインタビューに答え、そのときの『週刊文春』の記事が佐村河内が詐欺師であるかのように告発するものであったため、とたんに佐村河内は世間からペテン師みたいに言われ始めた。マスコミの豹変ぶりは毎度のことながら呆れるばかり。
 佐村河内があの記事のように、本当は耳が聞こえ、音楽作品もほとんどが新垣隆作であるのかは正確にはわからないが、確かなことは佐村河内が世間に徹底的に叩かれたということである。日本の場合、マスコミもネット社会も、弱っている者を見るとここぞとばかり徹底的にいじめ抜く点で共通しているが、真相がどうであるかに関係なく、叩かれた者は「悪者」のレッテルを張られてしまう。そうするとその人のことや事件のことを知らない人間までが「悪者」という目でその人を見ることになって、「悪者」になったものは居場所がまったくなくなる。空恐ろしいもんである。
 そういう「悪者」に対して真実はどうなのか問いかけるのが、この映画の監督、森達也のいつものアプローチで、マスコミで徹底的に叩かれていた佐村河内を取り上げたというのも森達也らしい選択と言える。この人の基本姿勢はどちらの側にも与しない、自分に見えたままを映像化するというもので、そういう点ではドキュメンタリー作品として信頼できるのではないかと思う。少なくともこの作品を見ると、見たなりにいろいろと感じることはある。たとえば、佐村河内側の主張がほとんどマスコミに取り上げられないこと、反論の機会がほとんど与えられないこと、大衆にとって何が真実かはあまり関係ないこと(要するに情緒的な部分で気に入るかどうかが問題)、その結果バッシングの対象となる人間の生活が著しく制限されることなど、映像を見ながら膚で感じることができる。脅迫まがいの嫌がらせをする人間も例によって現れる。こういう点はバッシング問題の共通項であり、真実を知ろうとせず情緒に流されるのが危険である、ということが暗に示されていく。これはこの映画のテーマでもある。
 ちなみに監督の森は、文春の記事を書いた記者と新垣隆にもインタビューを申し入れたらしいが、断られたらしい。彼らのスタンスをこのように描くことで彼らを悪者にしようとしているという見方もありうるだろうが、僕はこの映画を見ているときに彼ら側の言い分も聞きたいと感じていた。結果的に今回のこの騒動で一番得をしたのは彼らであるようにも思えるし、そもそもが最初から一方的に(佐村河内の悪を)断罪するというアプローチを取ってきたわけで、そうすると彼らも(この映画で提示されている彼らに対する)反論に対して自分の口でいろいろと語る、少なくとも正当性を主張するだけの責任はあるんじゃないかと思う。もちろんこの映画を通じてでなくてもかまわないが。だが攻撃の種をまいてそれでおさらばでは、バッシングされた側から見れば納得いかないんじゃないか……などとつらつら考えたのであった。
 いずれにしても、報道のあり方についていろいろ考えさせられるドキュメンタリーであることは間違いない。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『A(映画)』
竹林軒出張所『A2(映画)』
竹林軒出張所『「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔(本)』
竹林軒出張所『アは「愛国」のア(本)』
竹林軒出張所『死刑(本)』
by chikurinken | 2017-03-18 07:04 | 映画
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