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竹林軒出張所

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『非常識な建築業界 「どや建築」という病』(本)

非常識な建築業界 「どや建築」という病
森山高至著
光文社新書

「どや建築」の陰に業界の病

『非常識な建築業界 「どや建築」という病』(本)_b0189364_8213432.jpg バブル期の日本では不要な建物が全国中に作られた。演歌好きが大多数を占めていると思われる過疎の地方にクラシックのコンサート専用ホールが作られたという話も聞いた。用途不明の建物というものも数多くあった。こういうものはほとんどが今でも残っているんだが、中には景観から著しくかけ離れて、やたら自己主張している建築物というものもある。その多くは公共工事で建てられているが、ゲージュツが分からない我々シロートはこういうものを目にすると目を白黒させるばかりで、自然と一体化したエントランスだの空を取り込むファサードだの能書きを並べられても、奇抜なだけで美しさを感じないデザインに辟易するもんなんだが、建築家の皆さんはそういったことにお構いなしに、街中に妙ちきりんな建物を増殖させていく。
 たとえば東京の吾妻橋にあるスーパードライホールは、最初見たときウンコをデザインしているのかと勘違いしたほどだ(何のためにウンコ?とは思いつつ……実際は火の玉を表現したものなんだそうだ)。この間の新国立競技場の問題にしても、最初に提示されたザハ・ハディドの案にどのような真意があるのかわからず、僕には自転車用エアロ・ヘルメットにしか見えなかったが、あんなものに多額の公共事業費を投入するんだったら、前のやつを改修して使ったらどうなんだと思ったほどで、ただそんなことを言うとシロートはこれだから困るなどと返されそうなんで口をつぐむことになる(もっとも僕に大した発言力があるわけではないので言ったところで世間には何の影響もない)。
 こういう感覚は、おそらく普通の市民の皆さんが共通で持っているものではないかという問いかけを行ったのがこの本である。著者も建築家の一人で、自身の経験からなぜこういった世間の感覚と乖離した建物(著者はこれをどや顔をした建物、「どや建築」と呼ぶ)が街中に作られるか考察している。要は、現在の大学建築学科(ひいては建築業界)に奇抜でなければ認められない雰囲気があるのと、そのくせ建築家全般に芸術的感性が乏しいということが原因というのだ。つまり芸術感覚のない人間が芸術作品を作ることを強いられるために、結果として「どや建築」ができてしまうということらしい。
 また公共事業の性質として1年単位で予算を消化しなければならないため、時間をじっくりかけてコンペを執り行うなどという本来あるべき作業が実際にはできにくい。結果的にエラい建築家の先生に審査を丸投げ、この先生の好みで奇抜なデザインが選ばれやすいということなのだそうだ。著者の説明は非常に明快で分かりやすい。
 その他にも、ゼネコンが建築物に対する責任を取らなく(取れなく?)なっており、現場の解体が進んでいるということも指摘されていて、業界内の問題もあぶり出されている。新国立競技場の問題にもそういったあれやこれやの問題が凝縮されているとする。「どや建築」の陰には業界の病があったのだった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『ダム建設中止問題の実在に関する考察』
竹林軒出張所『日本のインフラが危ない(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『サンド・ウォーズ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『ガウディの遺言(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『宮大工と歩く奈良の古寺(本)』
by chikurinken | 2016-07-04 08:22 |
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