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竹林軒出張所

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『画材の博物誌』(本)

『画材の博物誌』(本)_b0189364_8451155.jpg画材の博物誌
森田恒之著
中央公論美術出版

 画材のあれやこれやについてトリビア風に書き綴った本。著者は美術館の学芸員などを経験した人で、初出はほとんどがギャラリーの機関誌(日動画廊の『繪』)で、さまざまな絵画技術と画材について解説した連載を一冊にまとめたのがこの本ということになる。
 扱われているテーマは、フレスコ、テンペラ、油絵、水彩、アクリルなどの絵の具から、紙、板、カンバスなどの支持体、炭や膠、あげくに銅版画や石版画までときわめて広い。またどれも内容が充実していて、目からウロコの記述も多い。現代に生きているわれわれにとっては、たとえば油絵と水彩といえば同格であり、極論すれば絵を描くときにどの画材を選ぶかという一つの選択肢に過ぎないが、どの画材にも歴史があり、社会での変革が影響している。今見れば横並びの同等のものであっても、時間軸の中ではそれぞれ独自の背景を持ちながら別々に登場して、それが現代に残っている(あるいは残っていない)に過ぎないということがよくわかる。また同時に、それぞれの画材の登場には必然性があるということもこの本を読むとわかる。
 たとえばカンバスが絵画用の支持体として普及したのは帆船用の布地の加工技術が進んだためとか、レンブラントが油絵の具の盛り上げ効果を巧みに使えたのはこの時代に油絵の具が改良されて硬練りが可能になったためとか、美術作品にはその時代の社会的な背景が反映されている。今の時代から過去の絵画作品を見ると、どうしてもそれぞれの巨匠画家の天才性や卓越した技に注目が集まるが、しかしその背景には必ずそれを誘発する技術革新があったということがよくわかるのである。画材の登場には工業技術の発展に伴う必然性があるが、それを活用した作品にもそれと同様の必然性があるということだ。
 たとえば水彩の記述が特に目を引く。現在水彩には基本的に透明水彩と不透明水彩(ガッシュ)の2種類があって、一般的な考え方ではヨーロッパ大陸で伝統的に不透明水彩が使われ、英国で透明水彩が使われたと考えられている。しかしこれは必ずしも正確でなく、元々は水彩はテンペラの1つのバリエーションに過ぎなかったという。テンペラといえば顔料に卵黄を混ぜて、卵黄を接着剤として顔料を支持体(紙やカンバス)に定着させる方法だが、卵黄の代わりにいろいろな媒材(膠など)を接着剤として使うこともあったらしい。その中にアラビアゴムを使う方法もあり、「ガムテンペラ」と呼ばれていたが、実はこれが現在言うところの不透明水彩で、元々水彩も不透明だった(下の地が透けて見えない)。透明水彩が生まれたのは18世紀の英国で、工業技術が発達し顔料を微細に砕くことが可能になったことがそもそもの原因である。この微細な顔料のために下地が透ける透明絵の具が実現したということらしい。つまり透明水彩は、不透明水彩の改良型であり工業技術の成果でもあるというわけだ。そのため両者が登場したのは時代的にも間に数世紀開いている。またこの時代、英国でこの透明水彩が工業製品として売り出され、急速に普及することになった。それまで絵の具は画家がみずから顔料と媒材を練り合わせて作るものだったが、それがこの時代に変化し、誰でも絵の具を使えるようになって、透明水彩による絵画が趣味として普及することになった。こうして透明水彩が英国で普及し、大陸には従来の不透明水彩が残ったというのが、「大陸=不透明水彩、英国=透明水彩」という今日の図式になった。さらに付け加えると、絵の具の工業製品化(練りチューブ化)は結果的に屋外写生を可能にし、バルビゾン派や印象派の登場を促す直接的なきっかけにもなっている。
 こういうふうに、画材にも絵画にも、その背景には大いなる歴史が横たわっているということがよくわかる非常に有意義な本であった。ところどころ読みづらい記述もあるが、それでも何度も目を通したいと感じさせる本であった。
★★★★
by chikurinken | 2012-05-24 08:45 |
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