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竹林軒出張所

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『姉妹』(映画)

姉妹(1955年・中央映画)
監督:家城巳代治
原作:畔柳二美
脚本:新藤兼人
出演:野添ひとみ、中原ひとみ、内藤武敏、望月優子、河野秋武、川崎弘子、多々良純

『姉妹』(映画)_b0189364_8434081.jpg 畔柳二美という人の小説が原作の映画である。監督は家城巳代治で、有名な監督であるにもかかわらず今までこの人の作品は見たことがなかった。演出は正攻法で破綻はない。何でもレッドパージのときに組合活動のために松竹を追われ、その後独立映画作家として映画を製作してきた監督だという。そのせいか、本作でも組合活動が主要なモチーフとして取り上げられている。
 基本的には姉妹の成長譚で、どこか青少年向け小説みたいな青臭さが漂うが、しかし本作で描かれる当時の風俗はなかなかシビアである。リストラによる首切り、障害者や病人続出で生活できなくなった家族、妻に過激な暴力を振るう夫など、生きるのに苦しむ庶民の姿が描かれていく。そういう意味でリアリズム映画とも言える。ストーリー自体は小津映画を彷彿とさせるような嫁入り話で、時代的にも小津映画と同時代だが、小津映画が完全にブルジョア志向であるのと対照的である。田舎の一般庶民の結婚や生活となると随分様相が違うということがわかる。そういうふうに見ると、小津映画のアンチテーゼとして見ることもできる。当時小津映画を批判していた若手の松竹ヌーベルバーグの監督たちは、ああいったブルジョア映画を作らずに社会問題を描くべきだとしきりに主張していたらしいが、おそらくこの辺のことを言っていたんだろうと思う。ただ、だからといって松竹ヌーベルバーグの映画やこの映画が、小津映画より優れているかと言えば決してそんなことはなかったわけで、要は社会の底辺を描くのも1本の映画だが、底辺社会の現実が描かれていなくてもそれも1本の映画ということである。何を題材にするかではなく、扱い方の問題ではないだろうかと思う。実際、今の時代になってみると、多くの小津映画には独特の品格があり、優れた名品のような味わいがあって、他の映画にはない上品さがあることがわかる。
 だが言うまでもなく、本作で描かれている社会の底辺も映画として十分インパクトを持つものである。「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう」(『Always 三丁目の夕日』より)などというような脳天気な世界観からは見えない現実が、この映画からはよく見えてくる(竹林軒出張所『ALWAYS 三丁目の夕日(映画)』参照)。
 野添ひとみ、中原ひとみという目の大きい美少女が主役の姉妹を演じているが、このダブルひとみ、どこか中原淳一の絵を彷彿とさせるような風貌である。僕はといえば、二人とも、目が大きいので「ひとみ」という芸名がつけられたのかしらんなどと脳天気なことを考えながら見ていたのだった。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『裸の太陽(映画)』

by chikurinken | 2012-05-22 08:44 | 映画
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