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竹林軒出張所

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新解さんと岩波さん

 子どもが今年とある高校に進学することになったが、その高校の新入生向け推奨辞書リストの国語辞典の項に『三省堂新明解国語辞典』と書かれていた。
新解さんと岩波さん_b0189364_8484317.jpg 『新明解国語辞典』と言えば、赤瀬川原平の『新解さんの謎』でお馴染みのあの「新解さん」ではないか。学校という場で「新解さん」を奨めるというのが僕にとってははなはだ意外だった。『新明解国語辞典』はとかく奇抜な記述が多いという印象で、娯楽として使用するならともかく、教育現場で使うのはどんなものなんだろうと思う。そういうこともあって『新解さんの謎』をもう一度読み直すことにした。
 『新解さんの謎』では、奇抜な記述を紹介するだけでなく、例文についてもさまざまなツッコミを入れて、さながらテレビのバラエティ番組のような面白半分的なおちゃらけで終始していて、かつての『超芸術トマソン』(赤瀬川原平著)のようなキレは残念ながらない。それに、本文の中であれやこれやツッコんでいた例文は、多くが既存の小説(『三四郎』や『高野聖』、『路傍の石』など)から採られたものであり、各項の例文同士に因果関係はない。そのため、さまざまな例文から『新明解』の著者の人格を想像しようとするのもあまり意味があるとは思えず、したがってこの本のように、例文を使ってはしゃいでいるのも、一種のワルノリみたいに思え、正直なところ読んでいてシラけてしまうのだ。むしろ、この辞書でこれだけいろいろな文学作品から例文を集めてきたという、そちらの労力の方が気になったくらいだ、本当のところ。とは言え、例文はともかく、やはり各項目の記述は少し奇妙ではある。たとえば本書で紹介されている「恋愛」の項。

恋愛:特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。

 正直言って(こちらも)ワルノリが過ぎるという印象である。

新解さんと岩波さん_b0189364_850391.jpg 僕が高校に入ったときに国語の教師から激しく推薦されたのが『岩波国語辞典』であったことを考えると、『新明解』が推奨されている現状はまさに隔世の感がある。ただし僕自身は当時、『岩波』をわざわざ買ったりせず、中学生のときに買った小学館の国語辞典をそのまま使っていた。そのため教師に「君は岩波を使わないんですか?」とたびたび皮肉を言われ、嫌な思いをしたものである。今だったら「家が貧しいので新しいのが買えないんです」くらいのことを言い返すところだが、当時はまだおとなしかったからただ黙っていた。それにその教師のこともあまり好きではなかったし。
 で、ともかく先日、書店の辞書売り場に行ってみたんである。そうするとなんと『新明解国語辞典』が大量に平積みになっており、『岩波』は棚の隅に1冊残されていただけだったのである。そのうえ、『新明解』には「一番売れている国語辞典」というキャッチフレーズが付いていた。子どもに(売れている)「新解さん」を買い与える気はさすがに起こらなかったので、僕は1冊しか残されていなかった『岩波国語辞典』をわざわざ買ったのだった。こういうもの(つまり『新明解』)を奨める教師に対する反発も心の中にはあったのだ。教師に「君は新解さんを使わないんですか?」と皮肉を言われ続けるかも知れないが、良くないと思うものをわざわざ与える親はいないだろう。だからまあ、そういう意味では良い選択だったのではないかと思っている。もちろん子どもには、自分の高校時代の話を伝え、皮肉を言われる可能性は示唆しておいた。一方で、偏屈な人間を親を持つと、しないで良い苦労もしてしまうのだな……と、自分のことは棚に上げてしみじみ思った春の夕暮れなのだった。

追記:現在『新明解国語辞典』は第七版で、『新解さんの謎』で紹介されているのは第四版までである。この新明解辞典であるが、版を追うごとに内容がかなり修正されているため(そのあたりも信頼が置けない理由の1つである)、かつてのようなおちゃらけた記述が残っているかどうかはわからない。興味のある方はご自身の目でご確認ください。
by chikurinken | 2012-03-30 08:51 |
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