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竹林軒出張所

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『完本 1976年のアントニオ猪木』(本)

完本 1976年のアントニオ猪木
柳澤健著
文春文庫

『完本 1976年のアントニオ猪木』(本)_b0189364_8321578.jpg プロレスラー、アントニオ猪木は、1970年代後半から80年代にかけて、カリスマ的な人気を誇った。彼が70年代後半に行った幾多の異種格闘技戦はどれも大きな話題を呼び、その影響は、現在の日本での総合格闘技人気につながっている。そしてその原点になったのが、1976年に執り行われたモハメド・アリとの「世紀の一戦」であった。「世紀の凡戦」とも揶揄された闘いであったが、これは、筋書きのあるいわゆるプロレス(ショー・レスリング)とは異なり、真剣勝負、つまりリアルファイトだった。著者によると、アントニオ猪木は、この試合を含め生涯3回リアルファイトを戦っているが、それはすべて1976年に行われた。この3試合に加え、これらの試合の布石となった闘い、柔道チャンピオンのウィリアム・ルスカ戦(これも1976年)の計4試合にスポットを当て、プロレスラー、アントニオ猪木とその功罪を紹介するノンフィクションである。
 本書の著者は、一部に見られるプロレス信者という類の人ではないため、「プロレス=筋書きのあるショー」という前提で話を進めている。そして、総合格闘技のような筋書きのない真剣勝負を「リアルファイト」と規定している。通常プロレスラーは、リアルファイトを闘うことはなく、リアルファイトが行われる場面は非常に限定されるが、アントニオ猪木は生涯においてリアルファイトを3試合行っており、すべて1976年に集中している。ボクシング世界チャンピオン、モハメド・アリ戦、韓国のプロレスラー、パク・ソンナン戦、パキスタンのプロレスラー、アクラム・ペールワン戦の3戦がそれである(著者による説)。
 当時、ジャイアント馬場の全日本プロレスから大きく水をあけられ、特に外国人レスラーの招聘に困難を抱えていたアントニオ猪木の新日本プロレスは、存亡の危機に立たされていた。そんな折、猪木はボクシングのモハメド・アリへの挑戦をぶち上げる。そしてそれに反応したのが、ミュンヘン・オリンピックの柔道金メダリスト、ウィリアム・ルスカだった。当時金銭的に困窮していたルスカにとって、猪木との異種格闘技戦は金銭的に魅力あるものだった。こうしてアントニオ猪木対柔道王ルスカの異種格闘技戦が実現する。もちろんこれはショー・レスリングであるが、この試合は猪木のすごみを世間に知らせることになる。プロレスの素人であるルスカを相手に劇的な試合を成立させ、ファンに異種格闘技戦という新しい楽しみを発見させることになったのである。
 それに続いて行われたアリ戦も実現すら困難と言われていたマッチアップだっただけに、猪木のプロモーターとしての手腕を世界中のプロレス・プロモーターに印象づけることになった。この試合も当初ショー・レスリングの予定だったが直前に猪木側がリアルファイトを持ちかけることで、結果的にアリもそれに応じて、リアルファイトが実現した。だがアリも猪木も、今で言う総合格闘技の技術がなかったために結局接触があまりない凡戦になってしまったというのが著者の主張である。
 この試合で、猪木は莫大な借金を背負い込むことになるが、これをきっかけにWWWF(現在のWWE)との関係ができ一流外国人レスラーの招聘が可能になると同時に、リアルファイト路線(あくまでショー・レスリングだが)が観客に受け入れられるようになる。その後新日本プロレスは全盛期を迎え、全日本プロレスを凌駕するようになる。
 他の2試合、パク・ソンナン戦とアクラム・ペールワン戦は、リアルファイトを仕掛けたもの(韓国)とリアルファイトを仕掛けられたもの(パキスタン)という違いはあるが、結果的に両方とも、それぞれの国のプロレス産業を崩壊させることにつながった。
 一方、新日本プロレスの全盛を築いた猪木は、新日本プロレスの利益の多くを事業に投資することで、再び莫大な借金を背負い込み、あげくに所属レスラーとの関係悪化を招くことになって、90年代に入って多くの所属レスラーの離脱、新団体の発生という事態を招く。やがて自ら創設した新日本プロレスをも崩壊に導くことになる。破壊者、猪木の面目躍如である。
 興業としてのプロレスリングが世界の市場で、テレビの発達に伴い拡大し、やがてテレビのさらなる発達と共に衰退していったことや、時の為政者に利用された側面なども紹介されていて、社会史の面からも興味深い事実が多い。日本の近代格闘技史の一面、特に今まで不明瞭だったプロレス団体の興亡を白日の下にさらすなど、そういう意味でも大変有意義な本であった。ミスター高橋著の『流血の魔術 最強の演技』とあわせて読めば、当時の状況を立体的に理解できることうけあい。
★★★☆

参考:
竹林軒出張所『蘇る伝説の死闘 猪木vsアリ(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『1993年の女子プロレス(本)』
竹林軒出張所『アリ対猪木 アメリカから見た世界格闘史の特異点(本)』
竹林軒出張所『燃える闘魂 ラストスタンド(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2012-01-06 08:32 |
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