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竹林軒出張所

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「あの発電所」についての随想

 こんな状況になっても「原発は必要」などと言っている人が周りにいるので、また「あの発電所」のことについて書かなければならない。
 正直その人がどういう文脈、意図で言ったのかわからないが、被害者や周辺住民への共感を著しく欠いた想像力欠如の悲しい人間に思えてくる。現状だって、一向に状況が改善されていないのは明らかだ。怪獣が目を覚ましたくらいのレベルだと思うが、もう解決したとでも思ってるのかね。新聞によってはこの事故の扱いも大分違うようで、そこはそれ、今まで原発行政を積極的に推進してきたメディアもあるのでしようがないと言えばしようがない。責任だけは是非取ってもらいたいと思うが。
「あの発電所」についての随想_b0189364_9454584.jpg 昨日のヘリコプター作戦を見てて思ったんだが、あまり意味があるとも思えなかった。「水がかかった」などとむなしい発表が当局者から行われたが、どう見ても焼け石に水(というより「焼け棒に水」ですな)という感じである。「もっと近付かなきゃダメだべ」という被災者の言葉がすべてを表していると思う。もちろん隊員に放射能を浴びてでも決行しろなどと言う気はまったくないが、本当にパフォーマンスにしか見えなかったのだ。「怪獣が街に出てきて科学特捜隊が応戦するが、ほとんど何の役にも立たない」という状況を思い出したのは僕だけではあるまい。通常はウルトラマンが来て何とかしてくれるが、頼みの米軍は80キロ先に待避してしまったから、こうなったら自前でやるしかない。是非、東電のエライさんが陣頭に立って作戦を指揮してもらいたいものである。責任を負うべき人々が、後ろでくつろいでいる図を想像したら、前線の人間はバカバカしくてやってられない。記者会見で頭を下げて終わりにしようなんてことはよもや考えていないだろうが、これから発生するであろう多数の被爆者、そしてかれらの苦しみに対し、責任を取るのは当然である。今まで市民をだまして、ときには恫喝、ときには脅迫、ありとあらゆる手段で強引に仕事を進め、しかもふたを開けてみると、ろくな対策を取っていなかったってんだから、話にも何にもならない。あれだけ危険なものを作るんだから事故対策班とか原子力特捜隊とか用意しているのかと思ったらそういうのすらない。対応も後手後手、例によって先延ばしにするだけで、時間が解決するとでも思っているのか。
 放水や落水でたとえ使用済み燃料プールに水が溜まったとしても、相当な放射線が周辺に放出されるのは明らかで、特にあのプールの水は放射能汚染された水ということになる(高レベルか低レベルかはわからないが)。今屋根がないことを考えると、今後雨が降れば当然水が溜まり、いずれあの水は周囲にあふれ出す。ほっといても放射能汚染は周辺に拡大するのである。その時点になると、屋根や壁が必要ということになり、急遽作業が始まるが、しかし放射能汚染地域に足を踏み入れて作業したいという決死的大工さんは、おそらくどこの世界にもいないだろう。だが誰かがやらなければならないということで、結局誰かに白羽の矢が立って、とりあえずこの燃料プールの件は収拾するという、そこまで何ヶ月かかるかわからないが、そういう経緯をたどるんじゃないかと思う。だがその間、放射能汚染は著しく拡大し、そして市民の感覚も麻痺し、ちょっとくらいなら大丈夫という風になる。結果的に、放射線を浴び苦しみ続ける被害者も増えることになるのだ。
 おそらく、各国の原発関係者はこの推移を注意深く見守るに違いない。恰好のシミュレーションと思っているかも知れない。それこそ次々に予想外のことが起こっていて、シミュレーションとしてはこれ以上ないくらいかも知れない、マクロ的に見ればね。だがミクロ的なレベルでは、多くの苦しみがあちこちに生まれるのである。それは間違いない。
 これまで原発の旗振り役だった自民党ですら、原子力政策の転換を示唆している(ちなみに民主党も原発推進派です)。
「「原子力推進、難しい状況」 谷垣氏、政策転換を示唆」(asahi.com)
 原発の輸出先からも、疑問の声が上がっている。
「原発導入予定の東南アジア各国に不安 見直し促す声も」(asahi.com)
 だが「原発が必要」などと言う人が周囲にいることを考えると、国内はともかく、世界的に見直しが進むともなかなか思えない。どうしても人ごとと思いたいのが人情なんだろう。ただ隣国で事故が起こると、今度は西日本でもかなりの被曝量になるのは容易に推測できるところである。そう言えば昨日、大陸から大量の黄砂が届いて、うちの洗濯物にも被害が出た。これに放射能が含まれるようなことがなければいいが……などと考えたが、それ自体、今の被害者に対する共感を欠いた発想なんだろうなと思う。

 今の原発問題が今後収拾した(おそらく大量の放射能をまき散らした後だろうが)として、たとえば原発の新設の中止、向こう20年間での全基廃炉を目指すことになったと仮定する。かなり楽観的な展開ではあるが、日本人にたとえその辺の叡智があったとしても、その後も、原発を解体するのに大きな困難が伴い(ここでも被曝事例が続出するはず)、しかも解体後も高レベル放射性物質をどうやって処理するかという問題は相変わらず残る。地中深くに埋めて存在しなかったことにするというプランらしいが、これも一歩間違うと大惨事になりかねない。このように原発行政というのは、何でもかんでも先送りにして、あげくの果てになかったことにすると言う「スーパー楽観主義」に基づいている。そのうち年老いて仕事を失った僕も、回り回ってこういった仕事に従事することになるやも知れぬ。そういうことを考えると、「原発が必要」などと言う「人ごと」的な発想はできないんだが、もしかして僕がスーパー悲観主義者なんだろうか。
 自分としては、家庭用燃料電池が普及すれば、原発は社会のお荷物になると思っていて、燃料電池の普及と原発大惨事のどちらが先に来るかというのが一番の関心というか心配だったんだが、結局悪い方に転んでしまった……と思う。燃料電池がすでに実用段階になっているという話もちらほら聞く。燃料電池も電磁波の問題とかいろいろ出てくる可能性があるが「原発よりははるかにまし」ではないかと思っている。

参考:
竹林軒出張所:『原発解体(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所:『地下深く永遠に 〜核廃棄物10万年の危険〜(ドキュメンタリー)』
by chikurinken | 2011-03-18 09:47 | 社会
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