カルロス・クライバーという、ドイツ人の指揮者がいる。というより、いた(2004年に死去した)。天才という名を恣(ほしいまま)にした伝説の指揮者で、いろいろ逸話が残っているんだが、なによりその演奏がすばらしい(現在、多くはないがCDやDVDが残っている)。
昨年このクライバーの伝記が日本でも翻訳出版(
『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 上 』)されたほどで、日本でもいまだに根強い人気がある指揮者である。結構ボリュームのある本で、現時点では上巻しか出ていないが、それでも読み終わるのに苦労するくらいの分量がある。この本では、カルロス・クライバーの周辺にいた人々の聞き語りを中心にクライバーの個人史を編年体で綴っており、内容が細かすぎるくらいなんだが、その細かさもあいまってクライバーの人間性をうかがうことができる。
一般的には、頑固で偏屈、変わり者で、コンサートもキャンセルするというような人物評があり、確かにそういう要素があるが、どうも音楽作品への愛着と自分の仕事に対する忠実さが、こういう評の根拠になっているようなところがあるようだ。何と言っても、オーケストラや歌手に対する要求が厳しく、しかも、しっかりした仕事(演奏)をするためにも十分な練習時間を確保したいと望むんだそうだ。そのため、楽団員、楽団当局、ソリスト(歌手など)とぶつかることが多く、要求が聞き入れられなければ、ときには爆発し、ときには破談になり……ということになる。演奏曲目(あるいはオペラ)などに対してクライバー自身の中に確固としたイメージがあり、それを完璧に表現することが彼の望みのようで、その望みをかなえるためにはどんなことでもやるという態度だったようだ。それがときに周りとの軋轢を生み出すということで、クライバーが性格的に破綻しているというわけでもなさそうだ。ただし多少子供っぽいところがあったのは確かなようだが。しかし周りの人間も、クライバーとぶつかり合いながらも、作品(つまり演奏なんだが)ができあがるとそのデキに驚き、また感心し、クライバーが特別な人間であることに気付くことが多かったという。利害がぶつかって疎んじられることもあるが、そういう部分を抜きにすれば、彼のとんでもない才能が周囲に影響を及ぼすことになる。
この本の中に、1970年代前半に、オーケストラとの練習風景をテレビ用に収録したという話がある。僕はそこまで読み進めてきて、クライバーがどういうふうにオーケストラと関わっていたか見たい気持ちが高ぶっていたため、久しぶりにこれを見ることにした。実は、この「オーケストラとの練習風景」については、日本でもDVDが発売されていて、僕も数年前にこれを買っていたのである(
『名指揮者の軌跡Vol.1 カルロス・クライバー』)。ちなみに本国ドイツでは、この模様が『お仕事拝見』という番組で1970年11月と71年5月に南ドイツ放送で2回に渡って放送されている(オーケストラは南ドイツ放送交響楽団(現在のシュトゥットガルト放送交響楽団))。
この練習風景はクライバーが40歳のときで、オーケストラに対してもいろいろ要求しているんだが、団員の中には「この若造め!」という感じの視線も見られる。しかも練習中頻繁にオーケストラを止めて指示する。結果的に、どうしても練習が長くなるので、見ているこちらとしても疲れてくる。だが、端で見ている分には、当事者でない分、面白くもある。いろいろな比喩を使って(たとえば「美女が目の前に現れたように」など)指示を出し、自分の音楽を作り出そうという姿勢、そして実際に音が活き活きとしていく過程は非常に興味深い。終わりの方になると、団員の方も、クライバーの音楽性を認識してか、最初の頃よりもエネルギッシュで積極的になっているように見受けられる。先述の本では、オーケストラの楽団員の話としてそういう話がよく出てくるんだが、本当にその様子を垣間見られるような印象を受けた。まさに伝説が目の前で甦る瞬間である。録画映像や録音のおかげで、こういうものを今でも堪能できる。本当に良い時代である。
参考:
『クライバーの田園』(竹林軒ネット)
竹林軒出張所『カルロス・クライバーのドキュメンタリー2本』
竹林軒出張所『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 上(本)』
竹林軒出張所『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下(本)』