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竹林軒出張所

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ダム建設中止問題の実在に関する考察

ダム建設中止問題の実在に関する考察_b0189364_10233882.jpg カヌー業(椎名誠が命名したと思う)をやっている野田知佑の『日本の川を旅する』という著書を読んだのは、25年くらい前、まだ学生のときだった。淡々とした記述の中に、日本の環境が行政の手によってひどく破壊されていくさまが描かれ、それについて(声高ではないが)一撃を喰わせるのが痛快ではあったが、同時にあまりのひどい現実に打ちのめされそうになった。そういう意味でもまさに名著である。
 この本では、必要なダムなどすでになくなっているにもかかわらず、国政により、無駄な労力と金がつぎ込まれて無駄なダムがあいかわらず作られ続けていることがことが示されている。推進している当事者も地元の人間もダムが不要なことを知っていながら誰も止めようとせず、いたずらに環境だけが破壊されていく現実が、読者に突きつけられる。世界中の川をカヌーで旅してきた著者にとっては、日本の川は、景観的に美しく、他の国の川と違ったユニークさがあって面白いらしい。それにもかかわらず、ほとんどの川が不要なダムでズタズタにされてきたことを、著者は淡々と語る。語り口もすばらしいが、その現実をまったく知らなかった当時の僕は、目からウロコが落ちるような感覚で、大変な衝撃を受けた。
 その後、僕自身もあちこちでダムを目にするたびに、野田氏の言っていたことは本当だなとあらためて感じていた。そして、それが普通の感覚だと思っていたので、日本人の(ほぼ全体に渡る)総意として「新規ダム建設中止」という概念があると思っていた。だから、田中康夫が脱ダム宣言を政策として推進したときも、今回のハツ場ダム建設中止についても、ダムで利益を得る人を除けば、諸手を挙げて歓迎されるものだとばかり思っていた(現実はそうなのかも知れないが)。
 ところが、テレビでは、建設中止の反対派側に立った言動がやけに目立つ。放送業界はこれが反体制の報道だとでも思っているのだろうか。各県知事を含め反対派は、要するに利益を失うことに意義を唱えているわけで、結局は補償を求めているに過ぎない。最終的には国が補償して終わるんだろうが、テレビの報道でそういう議論に持って行こうとしないのがどうにも腑に落ちない。
 ダムが不要なのは明らかだ。そもそもハツ場ダムなんて建造目的自体がころころ変わっている。ってことは、そもそもが必要のないものなのだ。雇用創出とか建築利権とかそういった都合で始めたに過ぎない。しかも多大な税金を投じているわけだ。今の状況では、どう考えてもやめるのが当然である。地元住民だって、本音では喜んでいる人が多いんじゃないか(テレビには一切出てこないが……危ないからね)。
 今やっている(大臣と知事との)折衝なんてのは形式的なもので、補償金をどれだけ増やすか減らすかの駆け引きに過ぎないんだから、ダム建設を中止すると困るなどという地元住民のインタビューなんか放送してもしようがない。本当のところ、ダム建設を中止したところでいっこうに困らないはずだ。あてにしてた仕事がなくなるのが困るとか、今まで住民をミスリードしてきたことがばれるのが困るとかいうことなんだ、本音は。だから、最終的にはかれらの顔を立てて、ある程度補償すれば済むことである。報道でその辺のことをすっぱ抜いてやれよと思う。こんな建前の儀式の後追いするより、核心を突くような報道したらどうだいと言ってやりたいものだ。政治が変わりつつあるんだから、放送業界もいいかげん変わるべきではないか。

参考:
竹林軒出張所『ダムはいらない! 新・日本の川を旅する(本)』
竹林軒出張所『世界の川を旅する(本)』
竹林軒出張所『風に吹かれてカヌー旅(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『あるダムの履歴書(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『引き裂かれた海(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『土佐・四万十川(ドキュメンタリー)』
竹林軒出張所『非常識な建築業界 「どや建築」という病(本)』
竹林軒出張所『ブルシット・ジョブ(本)』
竹林軒出張所『ブルシット・ジョブの謎(本)』

by chikurinken | 2009-10-29 10:27 | 社会
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