たぬき
歌:つれれこ社中
(上野茂都、鈴木常吉、桑畑繭太郎)
詩:山之口貘
作曲:上野茂都
てんぷらの揚滓それが
たぬきそばのたぬきに化けても
たぬきうどんの
たぬきに化けても
たぬきは馬鹿には出来ないのだ
たぬきそばはたぬきのおかげで
てんぷらそばの味にかよい
たぬきうどんはたぬきのおかげで
てんぷらうどんの味にかよい
たぬきのその値がたぬきのおかげで
てんぷらよりも安あがり
ところがとぼけたそば屋じゃないか
たぬきは生憎さま
やっていないんです
てんぷらでしたらございます
そこでボクはいつも
すぐそこの青い暖簾を素通りして
もう一つ先の
白い暖簾をくぐるのだ
詩人、山之口貘の詩に曲を付けたものだが、とぼけた味がなかなか良い。曲調も歌い方も実にとぼけている。三味線、アコーディオン、太鼓というアンサンブルも、おとぼけここに極まれりという組み合わせである。この曲は、
『獏 詩人・山之口貘をうたう』というCDに収録されているもので、他にも上野茂都のソロCD
『唄草子 其の壱 あたま金』にもソロ・バージョンが収められている。
『貘-詩人・山之口貘をうたう』というCDだが、収録されている曲の多くは高田渡が歌っており、企画にもかかわっているんじゃないかと思う。というのは、高田渡が、山之口貘の詩を多く取り上げて曲を付けていて、山之口貘の伝道者的な側面があるため。かくいう僕も高田渡経由で山之口貘を知った。
このCDに入っている「頭をかかえる宇宙人」という歌も、高田渡作の曲は単調だが、詩がすばらしい。
頭をかかえる宇宙人
歌:高田渡、ふちがみとふなと
詩:山之口貘
作曲:高田渡
青みがかったまるい地球を
眼下にとおく見下ろしながら
火星か月にでも住んで
宇宙を生きることになったとしてもだ
いつまで経っても文無しの
胃袋付きの宇宙人なのでは
いまに木戸からまた首がのぞいて
米屋なんです と来る筈なのだ
すると女房がまたあわてて
お米なんだがどうします と来る筈なのだ
するとボクはまたボクで
どうしますもなにも
配給じゃないか と出る筈なのだ
すると女房がまた角を出し
配給じゃないかもなにもあるものか
いつまで経っても意気地なしの
文無しじゃないか と来る筈なのだ
そこでボクがついまた
かっとなって女房をにらんだとしてもだ
地球の上での繰り返しなので
月の上にいたって
頭をかかえるしかない筈なのだ
「宇宙人」という、SF的で、ある種壮大なスケールを感じさせるテーマでありながら、恐ろしく卑近な内容の詩である。山之口貘には、こういうとぼけた味わいの詩が多いが、それでも若い頃は結構苦労したらしく、ホームレス生活を送っていたこともあるという。そのあたりは「生活の柄」や「ものもらい」などの詩でも表現されており、とぼけた作品を作るからといって、のんべんだらりと暮らしているわけではないんだな、これが。また、ちょっと見た感じあっさりと書いたような詩であるが、ご子息の話によると、推敲と修正を随分重ねていたらしい。そのためか、作品の数もあまり多くない。現在、
『山之口貘詩文集』という本も出ているが、この1冊に大部分の作品が収録されているようだ。詩自体は言うに及ばずだが、高田渡などのソングライターが付けた曲もすばらしい。曲だけ取ってみると音楽的に卓越したものはほとんどないが、実に巧みにとぼけた世界を表現している。吟遊詩人、高田渡の真骨頂と言ってよいだろう。
参考:
「上野茂都という人」(竹林軒ネット)竹林軒出張所『山之口貘詩集(本)』竹林軒出張所『詩のこころを読む(本)』竹林軒出張所『高田渡と父・豊の「生活の柄」(本)』