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竹林軒出張所

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ブッチャーとシン

凶悪健在!ブッチャーvsシン両者反則負け
(nikkansports.comより)


ブッチャーとシン_b0189364_1062540.jpg いやあアブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンがまだ現役だってのも驚いたが、相変わらず大暴れしているというのもびっくりだ。
 ブッチャーが68歳、シンが65歳だそうで、同じ時期に一緒にやっていたジャイアント馬場とジャンボ鶴田が鬼籍に入り、アントニオ猪木やザ・ファンクスがとうに一線を引いていることからもそのすごさがわかろうというもの。
 僕がプロレスをよく見ていたのは70年代後半だからすでに30年前だ。その当時全盛だったこの2人がいまだに健在というのも感慨深いものがある。

 僕は藤波辰巳(現・藤波辰爾)が出てきた頃からプロレスをよく見るようになって、佐山聡がマスクをかぶって出てきた頃から一切見なくなった。見始めたのは藤波辰巳の華麗で美しい技に魅了されたからで、見なくなったのは環境が変わってプロレスを見れなくなったためである。タイガー・ジェット・シンもそのころ新日本プロレスのマットによく出ていたが、あの狂乱ファイトがイヤで、心情的にはどちらかというと疎遠な存在であった。逃げまどう観客に襲いかかるわ、リング内でも何をやらかすかわからないわで、そういった恐怖感、嫌悪感が先立っていたのだと思う。なんであれ一定の調和がなければことは始まらない。スポーツであればルールがあるし、舞台であればさまざまな決まり事がある。規則や約束事を破るというのは、確かに一時的には面白い要素が出てくるかも知れないが、見る側にとってはおおむね不快なものである。なんでもかんでも破壊してしまうアナーキーさは、本当のアナーキーさを感じさせられる限り、多くの場合受け入れられないのではないかと思う。そういうわけで、一定の範囲内で無茶をするブッチャーは受け入れられても、何をしでかすかわからないという、ある種の狂気性をはらんだシンは、精神的に受け付けなかった。
 だが数年前、ミスター高橋著『流血の魔術 最強の演技』という本を読んで、シンのあのアナーキーさがすべて計算され尽くしたものであったことを知ったとき、本当に驚嘆したのである。もちろんプロレスが真剣勝負だとは思っていなかったが、ここまで周到に用意されたものであったは思わなかった。ましてやあの「ルール無用の悪党」が本当は心優しい紳士であったなどまったく想像が及ばなかった。そういう意味でも、当時の新日本プロレスの演出はすごかったと言わざるを得ない。
 この項を書くに当たって、タイガー・ジェット・シンアブドーラ・ザ・ブッチャーについてWikipediaで調べてみたのだが、彼らの魅力的な人間性ばかりが書かれていて、リングはあくまでも舞台にしか過ぎないのだということをあらためて認識させられる。
 タイガー・シンは今でも観客を追いかけ回しているんだそうだ。あの人をくったような「ハッスル」の舞台で、狂乱ファイトを繰り広げるとはなかなか爽快である。他の選手のスタイルとかみ合っているのか少々心配ではあるが。やはりまともにあのスタイルを相手できるレスラーといえばブッチャー・クラスでなければダメなんだろうな……などと感じるのである。まあ実際に見たことがないので、実際にどんなことが行われているか本当のところはよく分からないんだが。

参考:
竹林軒出張所『燃える闘魂 ラストスタンド(ドキュメンタリー)』

by chikurinken | 2009-08-01 22:21 | 日常雑記
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