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竹林軒出張所
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『へうげもの』(1)〜(39)(アニメ)
へうげもの(2012年・NHK)
演出:真下耕一
原作:山田芳裕
脚本:川崎ヒロユキ
キャラクターデザイン:津幡佳明、山下喜光
美術監督:海野よしみ
出演:大倉孝二、小山力也、江原正士、田中信夫、田中秀幸、鶴見辰吾

 「へうげもの」と書いて「ひょうげもの」と読む。NHKの公式ホームページによると、「ひょうげる」とは「ふざける」「おどける」という意味だという。古田織部(ふるたおりべ)の生き様を表しているらしい。一方で、織部好みの少し歪んだ茶器を「へうげもの」と呼ぶという話も聞いたこともある。原作者がどちらの意図でこのタイトルを使ったのかはわからない。ちなみに原作はマンガで、現在もまだ進行中らしい。つまりこのアニメは話の途中で終わったということになる。
 個人的には、戦国大名、古田織部が主人公という話を聞いてこのアニメに興味を持ったのであって、元々原作マンガの存在も知らなかった。しかしマンガで、数寄者、古田織部を主役に据えるとはなかなか振るってるというものである。織部といえば、茶器の世界でよく名前が出てくるので、日本の美術品に興味のある向きならご存知かと思う。大名としての業績や生き様より「織部焼」や「織部好み」など文化史で名前が通っている人物である。僕自身、古田織部の生涯についてはまったく知らなかったので、このアニメを見てみようと思ったのであった。
 さて、内容はと言えば、全体に剽げたストーリーで、さすがに「へうげもの」だけのことはある。本能寺の変で秀吉が信長を討ったり、千利休切腹時の介錯を古田織部が務めるなど、全体の展開も少しいびつで「ひょうげもの」になっている。もっとも冒頭に「この物語はフィクションで候」というナレーションが入るので、それについてつべこべ言うのは野暮というものである。なお、アニメ版では利休の切腹で終わるが、古田織部はその後も生き延びて、史実ではその後徳川家康に切腹を申し渡されることになるらしい。
 古田織部との関わりで信長、光秀、秀吉、家康、光成、利休などが登場するため、歴史ドラマとして見ても楽しめる。ただところどころ悪ふざけが過ぎる箇所もあり、やり過ぎの感があって正直いただけない。たとえば加藤清正が具志堅用高そのものの風貌だったり(セリフで「ちょっちゅね」を連発する……ちなみに声の出演も具志堅用高!)、伊達政宗が終始歌舞伎がかっていたり(写楽の「大谷鬼次」風)と、遊ぶのは良いんだがちょっとやり過ぎじゃねーの……と感じる。各回のタイトルも少し遊びが入っているが(「カインド・オブ・ブラック」、「カモナ・マイ・聚楽」、「わびスキーが、お好きでしょ。」など)、こちらは凝っていて面白いと思う。要は程度問題ということ。
 また、絵はきれいに描かれているが、アニメとしては動きが少ない。深夜アニメで予算がつかなかったのかも知れないが、そのためもあって全体的に少し安っぽく見えた。ということで、古田織部の歴史的な立ち位置はよくわかったが、アニメとしては少々食い足りない印象が残るという、そういうアニメであった。
★★★
# by chikurinken | 2012-02-02 08:31 | ドラマ
『手塚治虫クロニクル 1968〜1989』(本)
手塚治虫クロニクル 1968〜1989
手塚治虫著
光文社新書

 で、こちらが『手塚治虫クロニクル 1946〜1967』の続編。収録作品は1968年から没年までの23作で、『ブッダ』、『ブラックジャック』、『陽だまりの樹』、『アドルフに告ぐ』、『ネオ・ファウスト』など。
 前作同様、こちらも掲載されているのは各作品20ページ程度でやはり予告編みたいな感じではあるが、こちらは割合読み切りのものが多く、前作よりも楽しめる。手塚治虫が、おそらく当時1回完結の読み切りものをよく描いていたためだと思う。
 多作の手塚治虫が読み切りものをよく描いていたというのも考えてみればすごい話ではあるが、この頃(1970年代)の手塚作品はとりわけ質が高い。一方で80年代に入ると画風も少しずつ変わって、ストーリーにも「キレ」みたいなものが無くなってきたように思う。80年代以降、手塚作品がいわば大人の世界でも評価されるようになって、「週刊文春」(『アドルフに告ぐ』)や「朝日ジャーナル」(『ネオ・ファウスト』)でも連載されるようになる。当時僕もそれなりに大人になっていた頃だったが、『アドルフに告ぐ』も『ネオ・ファウスト』も面白味を感じず、なんだか手塚治虫が変節したみたいに感じて、それ以降手塚作品をほとんど読まなくなった。画風や画調が変わったのも他のマンガ家を意識していたのかも知れないが、こうして通しで振り返ってみると、子ども向けであっても60年代後半から70年代のものはどれも良いなあと思う。おそらく手塚治虫の真骨頂はこの時代にあるんじゃないかと思う。ある意味、手塚治虫の黄金時代と言えるかも知れない。
 だが、こうして手塚作品を年代順に俯瞰できるというのも、この本のような企画があればこそで、それを思うとなかなかユニークな本と言える。そういう意味でも存分に楽しめた。
 なお、最後に添付されている解説(某大学教授が書いたもの)は陳腐でつまらなかった。
★★★☆
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# by chikurinken | 2012-02-01 10:36 |
『手塚治虫クロニクル 1946〜1967』(本)

手塚治虫クロニクル 1946〜1967
手塚治虫著
光文社新書

 手塚治虫の初期の作品を、年代順に少しずつダイジェストで収録した本。
 収録されているのは1967年発表作品までの全25作で、『マアチャンの日記帳』(デビュー作)や『新宝島』(実質的な長編第一作)の他、『マグマ大使』や『どろろ』なども収録されている。
 今まで目にしたことがなかった『マアチャンの日記帳』や『新宝島』を見ることができたのは良かったが、どの作品も掲載されているのは20ページ程度で、必然的に、興が乗ってきたところで終わってしまう。そのため、やはり資料的な価値のみの本になってしまう。手塚治虫の伝記などを読むときにかたわらに置いておくと良いかもねという本である。
 個人的には、『ビッグX』などは幼児のときにテレビ放送で見ただけなのでほとんど記憶がなく、こういう話だったのかとあらためて納得した。『バンパイヤ』や『どろろ』についても話にはよく聞いていたが読んだことがなかったため、この本でストーリーを確認することができた(といっても序盤だけだが)。そういう意味でもやはり資料本なのだ。個々の作品に興味を持ったら『手塚治虫全集』に当たれということなんだろう。なお、本書には続編があり(『手塚治虫クロニクル 1968〜1989』)、1968年以降の作品はこちらに収録されている。
★★★
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# by chikurinken | 2012-02-01 10:33 |
『神様の女房』(1)〜(3)(ドラマ)
神様の女房(2011年・NHK)
演出:黛りんたろう
原作:高橋誠之助
脚本:ジェームス三木
出演:常盤貴子、筒井道隆、松本利夫、秋野暢子、石倉三郎、野際陽子、津川雅彦

 ベテラン・ライター、ベテラン演出家による手堅いドラマ。原作は、高橋誠之助の小説『神様の女房 もう一人の創業者・松下むめの物語』で、「経営の神様」松下幸之助の妻、松下むめのの視線による松下電器創業話らしい。
 ドラマは手堅くできており特に破綻はないが、全体に説明的で、松下電器の社史にでも載っていそうな展開になっていく(特に後半)。そのためドラマ的な面白さは比較的少ない(これも特に後半)。結局のところサクセス・ストーリーに落ち着き、失敗を重ねながらも最終的に成功を勝ち取るというありふれた展開になっていくのは、まあいたしかたないところか。ベタな表現があまりなかった点は、ベテラン作家の良識と言えよう。
 常盤貴子、筒井道隆の主役陣は悪くはないがあまり面白さもなく、他のキャストも可もなく不可もなくといったところ。唯一光を放っていたのは、むめの(幸之助の妻)の父役の津川雅彦で、非常に良い味を出していた。こちらもやはりベテラン。
★★★
# by chikurinken | 2012-01-30 07:54 | ドラマ
『君の名は 第1部』(映画)
君の名は 第1部(1953年・松竹)
監督:大庭秀雄
原作:菊田一夫
脚本:柳井隆雄
音楽:古関裕而
出演:佐田啓二、岸恵子、淡島千景、川喜多雄二

 かつてNHKラジオで放送され、放送時女湯が空になったという逸話を持つ『君の名は』の映画化作品。主演の岸恵子のショールの巻き方が「真知子巻き」として一世を風靡するなど、風俗史の1ページとして何かと取り上げられる映画である。そのため、こちらも教養の一環として見るという態度で、内容についてはまったく期待せずに見た。ま、結果的には正解だったが。
 何がひどいって、あまりにご都合主義的なストーリーが泣かせる。場当たり的にエピソードをつなぎ合わせるという手法で、東京だろうと佐渡島だろうとどこでも都合の良いときに偶然出会ったりすれ違ったりさせる。いわば「何でもあり」でリアリティもへったくれもない。また、全体の展開とまったく関係が無い(と思われる)エピソードが中にいくつか出てきて結局そのまま立ち消えになったりするが、こういうのはストーリー作成の失敗例として取り上げられるような要素である。元の連続ラジオ・ドラマのエピソードをそのまま使ったためか知らないが、連続ものならいざ知らず、1本の映画の中で取り上げるエピソードとしてはまったく無用なものだ。
 それから、登場人物に「いい男」度、「いい女」度の階層があるのも引っかかる。おかげで登場人物がどれもこれもステレオタイプになっており、薄っぺらな印象が常につきまとう結果になった。歌舞伎の二枚目、三枚目といった発想が元になっているのかもしれないが、必要以上に形式的なキャラクターといい、できの悪い舞台を見ているかのような印象を受けた。
 また、セリフだけでドラマが成立しているのも、映画としてはいかがなものかと思う。ラジオ・ドラマのシナリオをそのまま流用しているのかどうか知らないが、セリフだけが独立して歩いている感じで、正直言って映像がなくてもかまわない状態になっている。僕は途中から完全に飽きてしまって本を読みながらこの映画を見ていたんだが、画面を見ていなくても音だけで展開がわかるようになっていた。そういうふうに考えると、この映画、ラジオ・ドラマそのもので、映像は、いわば小説の挿絵みたいなものになってしまっている。これもできの悪い映像の見本みたいな要素である。
 『君の名は』にはこの後第2部、第3部もあるらしく、このクサイ話がどこまで続くのか多少興味があるところだが、さすがに2時間も3時間もかけて見ようとは思わない。ともかく、なかなかツッコミどころ満載の映画であった。こういう質の悪いものが世間で受けたという現象についても、韓国ドラマ同様、僕にはよく理解できない部分であるが、ま、それが現実ということなんだろう。
# by chikurinken | 2012-01-28 09:32 | 映画
『サヨばあちゃんの無人駅』(ドキュメンタリー)
サヨばあちゃんの無人駅(2011年・静岡放送)
TBS系列

 静岡の大井川鉄道沿線にある無人駅、抜里(ぬくり)駅で定期的にお総菜を製造・販売している、ある老婦人(諸田サヨさん)に焦点を当てたドキュメンタリー。かつてのNHKの『にんげんドキュメント』を思わせるような番組で、ローカル放送局が制作したものである。
 抜里地区は、茶葉生産が衰退してからというもの過疎化が進み、現在は多くの世帯が老齢世帯で、典型的な過疎の町と言った様相になっている。サヨさんは、この抜里駅(現在無人駅)のかつての駅長室を借りて、地域の人々と一緒にお総菜を作り、駅で販売している。価格は破格でほとんど利益はないらしく、ボランティアに近い感覚のようだ。買いに来るのは地域のお年寄りが多く、お年寄りの食生活に貢献するという役割だけでなく、かれらの話し相手になったり地域のコミュニケーションの中心になったりという役割もある。また駅で販売するだけでなく、周囲の老人にも配達しており、サヨさん、孤独になったお年寄りの健康を気遣いながら声をかけたり話を聞いたりもする。
 このサヨさん、大変明るく前向きで、周りの人にもその明るさが届いているのがわかる。番組では、サヨさんのおかげでこれまでの孤独な生活から抜け出して人付き合いができるようになった男性や、サヨさんが来るのを楽しみにしている90歳の男性など、いろいろな人々の生き様もあぶり出される。そして結果的に、このサヨさんが、地域のコミュニティの核として機能していることがわかるのである。
 一人の人が地域に太陽のように明るさを届けている様子が、桜や日だまりなどを交えた明るい映像で紹介される番組で、大変心持ちが良くなるドキュメンタリーだった。
第7回日本放送文化大賞グランプリ受賞作
★★★☆
# by chikurinken | 2012-01-27 10:01 | ドキュメンタリー
『1993年の女子プロレス』(本)
1993年の女子プロレス
柳澤健著
双葉社

 往年の女子プロレスラーに対するインタビューを集めた本。
 著者によると、1990年代前半の日本女子プロレス界は、ハイレベルな技と生命ぎりぎりのところで闘うという異常な世界が作り出されており、それが、それまで女子プロレスが眼中になかった一般の男性プロレス・ファンまで呼び込むことになったという。そして当時の女子プロレス界を牽引したのが全日本女子プロレスのブル中野でありアジャ・コングである。その時代を頂点として、そこにつながるビューティ・ペアやクラッシュ・ギャルズの時代、その後のプロレス団体乱立時代があるが、それぞれの時代に立ち会った人々にインタビューを敢行して、あの時代をあぶり出そうというのが本書の試みである。
 本書は大部分がインタビューであり、インタビューを受けるのは、ブル中野、アジャ・コング以下、井上京子、ジャガー横田、ライオネス飛鳥、長与千種ら13人で、話の密度も非常に濃く、そのためもあって460ページに及ぶ大著になっている。
 こういった関係者の話を通じ、当時の全日本女子プロレスの異常さや、それぞれの思いなどがあぶり出されてきて、時代の一様相が照らし出されている。とは言うものの僕個人は、当時を含めて女子プロレスはほとんど見たことがなく、インタビューを受けた人々のこともほとんど知らず、著者が何度も主張する異常な出来事についても一切知らなかったため、読みながら戸惑った箇所もある。もっとも本書で取り上げられている主要な試合は大体YouTubeでも見ることができるし、読み進むうちに、異なる人々の異なった角度からの話によって全体像が掴めてくるので、これはそれほどマイナスではないと思う。ともかく当時、若い女性たちが体をはって過激なエンタテイメントを繰り広げながら熱い時代を形作っていたということはよく伝わってきた。
 ところで、実際にYouTubeで見た女子プロレスであるが、確かに過激さがあって著者の主張もよく伝わってきたが、やはり僕のテイストにはあまり合わないという印象だった。ちなみに著者は、『完本 1976年のアントニオ猪木』(竹林軒出張所『完本 1976年のアントニオ猪木(本)』参照)の著者でもある。
★★★☆
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# by chikurinken | 2012-01-26 14:44 |
貧血記
 10日前にフラフラと倒れてからというもの、いまだに力が出ない。以前からおおよその見当はついていたのだが、極度の貧血状態が続いているようだ。
 実は昨年末から今年にかけて、胃の具合があまり良くなく、どうも持病の神経性胃炎のようだと思っていたところ、1月の第二週あたりから血便状態で、こりゃかなり出てるなと思っていたところに、フラフラと倒れたのだった。その翌日から極度の吐き気と頭痛が数日続いたがそちらはやがて改善して、それ以降は軽い頭痛と「力が入らない状態」が今まで続いているという状態である。
 顔面が蒼白になっていることを考えても貧血の症状にピッタリ当てはまる。最初は鏡を見てあまりの白さに驚いたんである。しかも顔だけでなく体全体が白っぽい。特に目立つのが歯茎の白さである。それから極度に疲労困憊することも貧血の症状と言える。倒れてから1週間後くらい、つまり吐き気や強烈な頭痛がおさまった後だが、用事で隣家まで20メートルほど歩いたときに息が切れてフラフラになった。ゼエゼエしながらめまいを感じるありさまで、腿の筋肉は乳酸が溜まった状態というのか、要は筋肉に張りが出たのである、わずか数十メートルの歩行で。おそらく失血のために赤血球が少なくなっており、酸素の補給が間に合わない状態で、脚が超無酸素運動をしたことになったせいではないかと思う。ホントにスクワット100回分くらいの張りなのである。
 翌日は、用事があったこともあり、かなり無理して、自転車を使って近所(自宅から約200メートル)まで行ったんだが、行って用事(ちょっと体を動かす作業)ができたのはできたのだが、めまいと息切れでこれまた死にそうな状態になってしまった。帰りの200メートルの自転車行は、フルマラソンの30km地点くらいの息苦しさで、自宅についてすぐに大の字になったのである。ましかし、前日の数十メートルの歩行に比べれば少しは改善されているのかとは思う。多少の持久力は出てきたような気がするのだ。
 そういうこともあって、さらにその翌日はかなり頑張って、家から7キロ近く離れた図書館まで自転車で行った(借りていた本が大量に溜まっていたので)。こうなると、気分はほとんどリハビリではあるがちょっと冒険でもあった。もちろん、このくらいの距離は普段であれば大した苦労も感じないのだが、このときはさすがに腿の張りが尋常でなく、しかも帰りは向かい風になるしで、大変な苦行であった。強いて言うならフルマラソンの40km地点くらいの気分で、しかもこの帰り道は少し前にランニングコースにしていたところで、ランニングしていたときでもこんなに苦しかった記憶はない。それでもなんとか家にたどり着くことはできた。若干の達成感と共に、赤血球が以前より少しは増えているのだろうと軽く実感するのだった……ゼエゼエしながらも。
 その後もやはりこういう状態は依然として続いており、少しずつ運動能力は上がっているのはわかるが、まだまだ元の状態からはほど遠い。倒れたときの状態が-100だとすると現状で-50くらいかと思う。赤血球を熱望している毎日であるが、しかし考えてみると、酸素が体に行き渡っていない状態で運動するというのは、高地トレーニングに近いものと言えるのではないかと思う。おそらく赤血球充填100%になったあかつきには、ものすごい心肺能力になっている可能性さえある。ともかく楽観的に生きていくしかないのだから、良いように考えることにする。ちなみに胃の出血は、最初の1週間でなんとか改善した……精神力で。もともと神経性のものだったので、なんとかなるものである。出る方(つまり失血)がないということであれば、きちっと血液を作る食物を食べていれば、いずれ赤血球も増えることだろう。
 実は当初から病院に行けと言う声が周囲でうるさいのだが、この程度で病院に行くのはどうかと言う気もするのだ。実際、自分の体と相談しながら体の不調を改善していく方が理に適っているとも思う。もちろんあまりひどい症状になれば病院に駆け込むだろうが、ずっと改善してきているのも実感できているし、体の状態も自分で把握できていると思う。ちょっと風邪ひいたからと言って病院に行くという風潮が、今でも僕なんかにはものすごく抵抗があるのだ。最初の頃の、立っているだけで息が切れるという状態から考えると格段の進歩である。そうそう、他の症状としては、すね毛が大量に抜けたことがある。血液が足りないとこういったところから節約が始まるのだろうか……と思うと、なかなか興味深い。髪の毛も少し減ったような気がする。こちらは情けない気分だけが残る。
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# by chikurinken | 2012-01-24 10:30 | 日常雑記
『金正日 隠された戦争』(本)
金正日 隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く
萩原遼著
文藝春秋

 「米朝核対決」、「300万人の大量餓死」、「金日成の死」を、金正日の3つの戦争と定義づけ、それについて綿密な取材に基づき解説する本。著者は、かつて『赤旗』の特派員として北朝鮮に滞在していた(その後強制退去)ジャーナリストで、その後大量の文献にあたりながら北朝鮮を研究してきた人。
 本書の内容は非常にセンセーショナルで驚きの連続であるが、どれも整合性がとれているようには思える。ただし、北朝鮮独自の秘密性のために明確な確証がとれていない部分も多い。そのため多くの事項について断定は避けられているが、しかしそれぞれの事項については、一定の裏付けがある。
 で、その内容だが、事の発端は1989年のルーマニア革命にある。北朝鮮と非常に良く似た立場にあったルーマニアで、独裁者チャウシェスクが処刑される。それに恐怖した金正日は、あらゆる方法で北朝鮮の体制を維持しなければならないと悟る。その結果、国内の現体制を維持するために、外敵としてのアメリカを喧伝することで核戦争勃発間近であるかのような状態を演出する。それが北朝鮮の核開発疑惑周辺の出来事であり、米朝核対決(1994年頃)と呼ばれる状態である。この結果、最終的にアメリカの譲歩を引き出し、結局原子力発電所(原子炉)2基をせしめることになる。結果的に国内の結束を固める(反体制分子の弾圧)とともに、戦時状態を演出することで国内の飢餓状態を国民に承認させることに成功する。しかもさらなる核開発(言ってみれば北朝鮮の外交カードの切り札)のための原子炉まで手に入れることになった。
 一方で、北朝鮮国内の飢饉に際して、金正日は、北部の被差別地帯(咸鏡南北道)への食糧供給を停止し、一部地域のみ飢餓を推進させる。著者によるとこの地域は敵対階層が多く住む地域であるための処置で、反体制分子の弾圧という側面があるという。だがその際、政治の最前列から身を引いていた金日成は、飢餓をなくすことこそ政策の第一に挙げるべきとして金正日と対立するようになる。
 金日成は、アメリカから提供を受けるべきは原子力発電所ではなく(即効性のある)火力発電所であり、そうすることで国内産業の健全化、農業の振興を図り、飢餓状態を脱却させることが必要であると主張する。そのために再び政治の最前列に復帰して陣頭指揮を執り、アメリカと直接交渉に当たることになる。ところが、交渉日の数日前に、突然死(謎の死)を迎えるのである。結果的に、従来の原子炉供与の路線は変更されることなく、金正日の核外交依存政策は持続することになる。その後も国内の食糧不足を演出して食糧支援を受けながら、原子炉も受け取るという物乞外交を推進していく。
 ただし、大量の食糧支援を受けならがも北部地域への食糧供給は相変わらず停止されているのである。こうして300万人の大量餓死が発生するのだが、その過程を追っていくと、政府による意図が見え隠れする……つまり、そのほとんどが金正日によって作られたジェノサイドであるというのである。
 著者によると、各国による食糧支援は、支配階級に近い階層に分配することで体制強化に利用され、同時に換金して核開発やミサイル開発の資金として使っていたということで、当時の北朝鮮国内の食糧不足は実際には元々それほどひどいものではなかったという。こういった仮説を、さまざまなデータを提示しながら示していく。読んでいて説得力があるとは思うが、今まで聞いていた話とあまりに違うのでにわかに信じがたい部分もある。ただ、北朝鮮国内(特に北部)の惨状など、脱北者からこれまで伝わってきたさまざまな話とは整合がとれているのである。著者によると、周辺国の食料援助は、結局は北朝鮮の核武装を推進することに繋がっており、その核兵器は支援国自身に向けられているのであって、結果的に自国の安全保障を脅かす結果になっているという。こうして考えると、人道援助は結果的に非人道的な行為(大量の北朝鮮人民の餓死)にも利用されていたのだと言える。
 本書で紹介されている事実はどれもセンセーショナルだが、荒唐無稽というわけではなく、それぞれを裏付けるデータも提示されていて説得力がある。にわかには判断できないが、しかし北朝鮮問題を考えるときの大きな指針として使うことができるのではないかと思う。
★★★☆
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# by chikurinken | 2012-01-23 08:49 |
『女の園』(映画)
女の園(1954年・松竹)
監督:木下恵介
原作:阿部知二
脚本:木下恵介
出演:高峰秀子、久我美子、高峰三枝子、岸恵子、田村高広、東山千栄子

 京都の女子大を舞台にした学生紛争の話。原作は阿部知二の『人工庭園』で、京都女子大で実際に起こった事件がモデルだとかつてどこかで聞いたことがあるが真相はわからない(確証がとれなかった)。
 大学当局から抑圧的な扱いを受ける学生たちが処遇の改善を求めて立ち上がるというストーリーで、女子学生たちが人間性を抑圧されて、それに対応していく過程を描く。
 描写方法はありきたりではなく、個人レベルで掘り下げられており、本当にモデルがあるのではと思わせるようなリアリティが細部にある。執念や情念も渦巻いていて、人間同士のぶつかり合いの迫力も木下恵介ならではと言える。
 ただ、今の感覚からすると全体の展開が少し間延びしている印象があり、2時間20分は少し長く感じる。見ていて途中かなり飽きていたのも事実である。演出は正攻法であるが、キャストの演技は少し古くささを感じた。
 主演女優陣は、高峰秀子、久我美子、岸恵子、高峰三枝子と超豪華で、公開時もこの辺が話題になったようである。
★★★
# by chikurinken | 2012-01-22 11:46 | 映画
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