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竹林軒出張所
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『グランド・ホテル』(映画)
グランド・ホテル(1932年・米)
監督:エドマンド・グールディング
原作:ヴィッキイ・バウム
脚本:ウィリアム・A・ドレイク
出演:グレタ・ガルボ、ジョン・バリモア、ジョーン・クロフォード、ウォーレス・ビアリー、ライオネル・バリモア

 昔シナリオの先生から「主人公は1人じゃなきゃ映画として成立しない」と言われたことがあり、これについては十分納得していたが、しかし現実的にこの『グランド・ホテル』みたいに主人公クラスの人間が大勢出てくる映画も存在するわけだ。で、こういった構成(主人公が多い作品)は、この映画のタイトルからグランド・ホテル形式と呼ばれているんである。
 この『グランド・ホテル』は古典中の古典映画であるが、見るのは今回が初めてということになる。序盤は主人公クラスの人間が大勢登場し、しかもグランド・ホテル内の雑多でにぎやかな雰囲気と相まってあまりまとまりがない印象である。やはり主人公が多いというのは問題があるよなあと思っていたが、これが見事に一点に収束していき、そしてスカッと終わらせる。非常に巧みな脚本であることがわかる。
 結局のところ、主人公は大勢の人々ではなく、このホテル自体なのだと思えるようになる。つまりホテルに出入りする人々は、ホテルを演出する素材でしかない。このあたり、すべては登場人物によって2回に渡って語られる「グランド・ホテル、人が来ては去って行く、ただそれだけ」というセリフに集約されている。もちろん映画では人間ドラマを扱っているが、舞台こそ主役というわけだ。だから「主人公が1人」というのはある意味で成立しているとも言える。
 キャストも豪華であるが、やはりストーリーと脚本の見事さが最後まで印象に残る映画だった。ちなみに男爵役のジョン・バリモアと社長役のライオネル・バリモアは兄弟だそうで。
第5回アカデミー賞最優秀作品賞受賞
★★★☆
# by chikurinken | 2012-05-26 09:59 | 映画
『わたしのペレストロイカ』(ドキュメンタリー)
わたしのペレストロイカ
(2010年・英米Red Square Productions / Bungalow Town Productions他)
NHK-BS1

 ソビエト体制下で幼少時代を過ごし、その後ソビエトの崩壊、資本主義体制への移行などを目の当たりにした人々に取材したドキュメンタリー。
 登場する人々は多くが同級生で、同じ激動の時代をくぐり抜けながらも、それぞれ独自の人生を送っている。各人の話をうまく編集しながら、時代背景を示す映像が挿入される。かれらの子ども時代の映像もふんだんに登場する。
 われわれにはソビエトは暗黒社会みたいな印象があるが、彼らに言わせると子ども時代は不幸に感じることはまったくなく毎日が楽しかったらしい。質素ではあっても、それなりに社会はうまく機能していたことが窺われる。その後、ゴルバチョフが登場して連邦体制は崩壊し、ロシア社会は混沌としてきた。市場からモノがなくなり、社会不安も増えてくる。社会が不安定になっても、人々はかれらなりに生活を送らなければならない。パンクロッカーになった者や教師になった者など各人各様である。クラス一の美人だった女性は、いまやシングルマザーで、アパート住まい、生活も苦しいらしい。インタビューを通じてそれぞれの人物に共感を感じるようになるが、かれらの来し方に接すると、一種の同窓会みたいな雰囲気さえ出てくる。成功した者も困窮している者もいて、これからも互いに何とかやっていこうよという気分になる。
 日本では安っぽい同窓会ドラマも多いが、この番組はドキュメンタリーでありながら、あざといドラマよりずっと質が高い上、見ていて面白いし、共感できる。背景を流れるのが激動の時代であっても、ミクロレベルではそれぞれの人生に収斂する。子どもの頃に同じ時期を同じ場で過ごした人々が、それぞれの人生に枝分かれしていき、ある一点でスナップショットとして互いにそれを披露する。それが同窓会であり、このドキュメンタリーはまさしくそういう構成になっている。国家の崩壊という特異な社会背景を抜きにしても、同窓会ドキュメンタリーとして非常に質が高い秀作であった。なおこのドキュメンタリーにはナレーションが一切なく、インタビューと映像を巧みにつなぐことで、庶民から見た歴史を描いているが、結果的に非常に大きな効果をもたらすことになっている。
★★★★
# by chikurinken | 2012-05-25 09:07 | ドキュメンタリー
『画材の博物誌』(本)
画材の博物誌
森田恒之著
中央公論美術出版

 画材のあれやこれやについてトリビア風に書き綴った本。著者は美術館の学芸員などを経験した人で、初出はほとんどがギャラリーの機関誌(日動画廊の『繪』)で、さまざまな絵画技術と画材について解説した連載を一冊にまとめたのがこの本ということになる。
 扱われているテーマは、フレスコ、テンペラ、油絵、水彩、アクリルなどの絵の具から、紙、板、カンバスなどの支持体、炭や膠、あげくに銅版画や石版画までときわめて広い。またどれも内容が充実していて、目からウロコの記述も多い。現代に生きているわれわれにとっては、たとえば油絵と水彩といえば同格であり、極論すれば絵を描くときにどの画材を選ぶかという一つの選択肢に過ぎないが、どの画材にも歴史があり、社会での変革が影響している。今見れば横並びの同等のものであっても、時間軸の中ではそれぞれ独自の背景を持ちながら別々に登場して、それが現代に残っている(あるいは残っていない)に過ぎないということがよくわかる。また同時に、それぞれの画材の登場には必然性があるということもこの本を読むとわかる。
 たとえばカンバスが絵画用の支持体として普及したのは帆船用の布地の加工技術が進んだためとか、レンブラントが油絵の具の盛り上げ効果を巧みに使えたのはこの時代に油絵の具が改良されて硬練りが可能になったためとか、美術作品にはその時代の社会的な背景が反映されている。今の時代から過去の絵画作品を見ると、どうしてもそれぞれの巨匠画家の天才性や卓越した技に注目が集まるが、しかしその背景には必ずそれを誘発する技術革新があったということがよくわかるのである。画材の登場には工業技術の発展に伴う必然性があるが、それを活用した作品にもそれと同様の必然性があるということだ。
 たとえば水彩の記述が特に目を引く。現在水彩には基本的に透明水彩と不透明水彩(ガッシュ)の2種類があって、一般的な考え方ではヨーロッパ大陸で伝統的に不透明水彩が使われ、英国で透明水彩が使われたと考えられている。しかしこれは必ずしも正確でなく、元々は水彩はテンペラの1つのバリエーションに過ぎなかったという。テンペラといえば顔料に卵黄を混ぜて、卵黄を接着剤として顔料を支持体(紙やカンバス)に定着させる方法だが、卵黄の代わりにいろいろな媒材(膠など)を接着剤として使うこともあったらしい。その中にアラビアゴムを使う方法もあり、「ガムテンペラ」と呼ばれていたが、実はこれが現在言うところの不透明水彩で、元々水彩も不透明だった(下の地が透けて見えない)。透明水彩が生まれたのは18世紀の英国で、工業技術が発達し顔料を微細に砕くことが可能になったことがそもそもの原因である。この微細な顔料のために下地が透ける透明絵の具が実現したということらしい。つまり透明水彩は、不透明水彩の改良型であり工業技術の成果でもあるというわけだ。そのため両者が登場したのは時代的にも間に数世紀開いている。またこの時代、英国でこの透明水彩が工業製品として売り出され、急速に普及することになった。それまで絵の具は画家がみずから顔料と媒材を練り合わせて作るものだったが、それがこの時代に変化し、誰でも絵の具を使えるようになって、透明水彩による絵画が趣味として普及することになった。こうして透明水彩が英国で普及し、大陸には従来の不透明水彩が残ったというのが、「大陸=不透明水彩、英国=透明水彩」という今日の図式になった。さらに付け加えると、絵の具の工業製品化(練りチューブ化)は結果的に屋外写生を可能にし、バルビゾン派や印象派の登場を促す直接的なきっかけにもなっている。
 こういうふうに、画材にも絵画にも、その背景には大いなる歴史が横たわっているということがよくわかる非常に有意義な本であった。ところどころ読みづらい記述もあるが、それでも何度も目を通したいと感じさせる本であった。
★★★★
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# by chikurinken | 2012-05-24 08:45 |
『姉妹』(映画)
姉妹(1955年・中央映画)
監督:家城巳代治
原作:畔柳二美
脚本:新藤兼人
出演:野添ひとみ、中原ひとみ、内藤武敏、望月優子、河野秋武、川崎弘子、多々良純

 畔柳二美という人の小説が原作の映画である。監督は家城巳代治で、有名な監督であるにもかかわらず今までこの人の作品は見たことがなかった。演出は正攻法で破綻はない。何でもレッドパージのときに組合活動のために松竹を追われ、その後独立映画作家として映画を製作してきた監督だという。そのせいか、本作でも組合活動が主要なモチーフとして取り上げられている。
 基本的には姉妹の成長譚で、どこか青少年向け小説みたいな青臭さが漂うが、しかし本作で描かれる当時の風俗はなかなかシビアである。リストラによる首切り、障害者や病人続出で生活できなくなった家族、妻に過激な暴力を振るう夫など、生きるのに苦しむ庶民の姿が描かれていく。そういう意味でリアリズム映画とも言える。ストーリー自体は小津映画を彷彿とさせるような嫁入り話で、時代的にも小津映画と同時代だが、小津映画が完全にブルジョア志向であるのと対照的である。田舎の一般庶民の結婚や生活となると随分様相が違うということがわかる。そういうふうに見ると、小津映画のアンチテーゼとして見ることもできる。当時小津映画を批判していた若手の松竹ヌーベルバーグの監督たちは、ああいったブルジョア映画を作らずに社会問題を描くべきだとしきりに主張していたらしいが、おそらくこの辺のことを言っていたんだろうと思う。ただ、だからといって松竹ヌーベルバーグの映画やこの映画が、小津映画より優れているかと言えば決してそんなことはなかったわけで、要は社会の底辺を描くのも1本の映画だが、底辺社会の現実が描かれていなくてもそれも1本の映画ということである。何を題材にするかではなく、扱い方の問題ではないだろうかと思う。実際、今の時代になってみると、多くの小津映画には独特の品格があり、優れた名品のような味わいがあって、他の映画にはない上品さがあることがわかる。
 だが言うまでもなく、本作で描かれている社会の底辺も映画として十分インパクトを持つものである。「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう」(『Always 三丁目の夕日』より)などというような脳天気な世界観からは見えない現実が、この映画からはよく見えてくる(竹林軒出張所『レトロにもほどがある -- ALWAYS 三丁目の夕日(映画)』参照)。
 野添ひとみ、中原ひとみという目の大きい美少女が主役の姉妹を演じているが、このダブルひとみ、どこか中原淳一の絵を彷彿とさせるような風貌である。僕はといえば、二人とも、目が大きいので「ひとみ」という芸名がつけられたのかしらんなどと脳天気なことを考えながら見ていたのだった。
★★★☆
# by chikurinken | 2012-05-22 08:44 | 映画
『マーラー 君に捧げるアダージョ』(映画)
マーラー 君に捧げるアダージョ(2010年・独墺)
監督:パーシー・アドロン、フェリックス・アドロン
脚本:パーシー・アドロン、フェリックス・アドロン
出演:ヨハネス・ジルバーシュナイダー、バルバラ・ロマーナー、カール・マルコヴィクス、エヴァ・マッテス

 作曲家のグスタフ・マーラーとその妻のアルマ・マーラーとの関係を描いた伝記映画。
 アルマとグロピウス(建築家)の不倫のせいで神経衰弱状態に陥ったグスタフ・マーラーが、精神科医、フロイトのところに赴くところから話は始まる。で、フロイトの治療、つまり心の中にあることを語らせるという方法によって、マーラーにアルマへの思いを語らせ、回想形式に持っていくというなかなか巧妙な構成になっている。ところどころ、周辺の関係者がカメラに向かって、インタビューに答えるかのように彼らについて語るシーンが挟まれ、このあたりの構成はドキュメンタリー・タッチになっている。このインタビュー風の部分に登場する人々には、ツェムリンスキー(作曲家)、クリムト(画家)、ブルクハルト(演出家)、ブルーノ・ワルター(指揮者)も含まれ、実に多彩である。もっともすべてフィクションであり、それぞれ役者が演じているに過ぎない。しかしドキュメンタリーを感じさせるような演出で、アルマ・マーラーの華麗な人間関係(恋愛遍歴)の一端が覗けるような豪華絢爛な登場人物群である。
 この映画の核心部分は、マーラー夫妻の関係性で、このあたりはうまく解釈を施していて大変わかりやすい。単に好奇の目でアルマを扱うのではなく、一人の女性の人生として真摯に分析している点に好感を持てる。解釈に破綻もなく共感できるような話に仕上がっている。共感できなかったのはキャスティングで、特にアルマを演じた女優に華がなく、とてもじゃないが「ウィーン随一の美女」(ワルター談)には見えない。どうしてこの女優を起用したのかまったくわからない。演技云々じゃなくて見栄えのことを言っているのであって、この女優が悪いとかそういうことではなく、アルマという役柄に合っていないんじゃないかということである。風貌は少し似ているような気もするが、たとえ似ていても与える印象がまったく違うということはままある。そんなわけでこのアルマにはガッカリなのだった。クリムトやワルターは似た役者を起用していてこちらは映画に良い雰囲気を与えている。マーラーを演じたジルバーシュナイダーもメイクなどで似せた風貌にしていて悪くない(何より神経衰弱加減がうまく表現されていて好演であった)。ともかくアルマには、似てなくて良いから「ウィーン随一の美女」にふさわしい女性を起用してほしかったと思うのである。そうそう、背景には、タイトルが示すようにマーラーのアダージョ(やアダージェット)がふんだんに流れます(交響曲第4番、5番、9番)。
★★★

参考:竹林軒出張所『アルマ・マーラー ウィーン式恋愛術(本)』
# by chikurinken | 2012-05-21 07:56 | 映画
『テルマエ・ロマエ I、II』(本)
テルマエ・ロマエ III
ヤマザキマリ著
ビームコミックス

 古代ローマ人が主人公のマンガ。古代ローマが舞台、しかも何だかひねりが利いているらしいということで前から読みたいと思っていたところ、最近映画化されたということもあっていよいよ実際に手に取ることになった。
 で、どういう話かというと、古代ローマの浴場設計士、ルシウスが、浴場設計でいろいろな難題に突き当たり、そのたびに現代の日本に(たまたま)タイムスリップし、風呂にまつわるさまざまなアイデアに感心し、それをローマに持って帰って成功するという、はなはだバカバカしいストーリーである。もっともバカバカしくはあるが面白い。基本的に1話完結の短編を集めたもので、どれもワンパターンの展開。もちろん、あるときは日本の公衆浴場、あるときは内風呂、あるときは温泉という具合にネタは毎回変わるし、ストーリーも進行していく。ハドリアヌスやマルクス・アウレリウスなどの五賢帝も登場して、歴史好きには楽しい。ただこのマンガに描かれている時代考証が正しいのかどうかはよくわからない。何となく現代日本風味な気もする。
 考えようによっては壮大な話であるが、基本は現代日本を外の目で見るという異文化交流がテーマである。普段何気なく接しているものごとでも、外から見ると意外に思われることは多い。日本の場合、来日した外国人にとってトイレや風呂が驚きの対象になることが多いらしいが、そういう意味でも風呂を題材として取り上げたのは正解と言える。だが極論すれば「外国人による日本観」に他ならない。BOSSのコマーシャルで宇宙人ジョーンズが現代の地球にやってきて、奇妙な文化に驚くというのがあるが、あれもおおむね外国人が日本に来て驚くネタばかりである。あれも異星人の間の壮大な話だが、ほとんどが日本特有の文化をいじる異文化交流の話に過ぎない。でも、自国の文化がよそからどう見えるかというのは存外面白く感じるものである(特に日本人は)。そういう意味であのCMは面白いんだが、『テルマエ・ロマエ』にも同様の面白さがある。というより、同じ発想じゃないかと思う。著者は、イタリア在住の日本人女性ということで、日本文化を外部から見ることの面白さを知っていて、それでこういう話を割合安易に作ったんじゃないかと思う。絵については、線はきれいだが並のレベル、ストーリーはそこそこよくできているが「タイムスリップ」には少々安直さを感じる。特に最近の日本のドラマやなんかはなんでもかんでも「タイムスリップ」と来ていて、僕などは少々辟易しているのだ。たしかに時代を超えた異文化交流が面白いのはわかるが、ちょっと能がないんじゃないかと思ってしまう。もっともこのマンガの場合、「タイムスリップ」自体にそれほど重きが置かれておらず、一つのツールとして使われているため、それほどの違和感は感じない。全編「よそから見た日本文化」のおかしさがちりばめられていて、楽しく異文化交流を体験することができる作品といえる。なおタイトルの『テルマエ・ロマエ』は「ローマの浴場」の意味……だと思う。
マンガ大賞2010、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞作
★★★☆
# by chikurinken | 2012-05-19 09:53 |
『洋菓子店コアンドル』(映画)
洋菓子店コアンドル(2011年・『洋菓子店コアンドル』製作委員会)
監督:深川栄洋
脚本:深川栄洋、いながききよたか、前田こうこ
出演:江口洋介、蒼井優、戸田恵子、江口のりこ、尾上寛之、加賀まりこ

 田舎からぼっと出の若者がひょんなことから高級洋菓子店に入りそのバイタリティだけで真のプロに成長していくという、割とありきたりなストーリー。また登場するエピソードも、かつて伝説のパティシエと呼ばれていたが事故がきっかけで菓子作りを辞めた男とか、大事なイベントを前に突然休業を余儀なくされる洋菓子店とか、こちらもきわめてありきたり。ありきたりなものが多く、シナリオに工夫がないという印象である。美味しそうなケーキがたくさん出て、これもやはり若い女性を当て込んだハナコ映画と見た(竹林軒出張所『食堂かたつむり(映画)』参照)。
 とは言うものの、映画自体はよくできており、演出やカメラワーク、全体を流れる穏やかな雰囲気など、実に巧みで、映画としての完成度は非常に高い。こういった映画が最近の日本映画には多く、ある意味、映画製作者としてすばらしい職人芸を持っている人が多いわけで、その点感心させられる。3、40年前の、斬新なネタではあるが完成度が低い映画と対照的で、完成度が低い映画はそもそも人に見せるものとしてどうよと思っている僕にとっては好ましい傾向ではある。だがそれにしても、ストーリーがあまりにチープなものが多いのも事実で、こういう予定調和的なものばかりになるのはつまらないとも思う。まあ、安心して見られると言えば言えるんだが。蒼井優、江口洋介が好演。
★★★☆
# by chikurinken | 2012-05-18 08:21 | 映画
『金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱』(本)
金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱
ロナルド・ドーア著
中公新書

 ロナルド・ドーア(竹林軒出張所『100年インタビュー ロナルド・ドーア(ドキュメンタリー)』参照)による現在の(異常な)金融事情の分析とそれへの対処法。
 金融化(金融利益志向の増大)が異常に進んだ結果、ついにリーマン・ショックという形で金融バブルが崩壊したのは4年前で、まだ記憶に新しいところだ。こういった金融化を危惧していた人も多いが、それでも金融機関の暴走に歯止めをかけることができなかった。著者は、それはそもそもシステム自体に問題があったせいだとする。たとえばある金融機関のトレーダーは、為替取引で収益を挙げればそれが莫大なボーナスとして自分の懐に跳ね返ってくるが、無理な取引を行ってその金融機関に大損害を与えてもクビになるのが関の山で、損害について弁償させられることはない。それまでに貯めたボーナスで生涯安楽な生活を送れるわけだから、こういった人間にとってはギャンブルの勝ち逃げみたいなものだ。そもそもが現在の投資、投機は、何ものをも生産しないギャンブルに過ぎないと著者は主張する。実際現在の為替売買の総額は、国際貿易総額の百倍にも上っているという。何も生産することなく、金が(厳密には数字だけが)方々を移動しているのである。結局うまく振る舞ったものだけが莫大な利益を得られるというシステムができあがっており、その利益にしてみても元々他の投資家たちの金(本来サラリーマンの年金となるべき積立金など)だったわけで、いわば巧妙な集金システムに過ぎない。この辺は、『帝国以後』のエマニュエル・トッド(竹林軒出張所『帝国以後 - アメリカ・システムの崩壊(本)』参照)に通じる見方である。こういった見方に対して、金融化を押し進める勢力(金融機関など)は、金融化こそ、必要な箇所に資金が公正に分配されるシステムと主張する。市場原理で、行くべきところに資金が流れるというのが彼らの主張だ。これに対して著者は、為替取引の額のうち、適正と考えられる資金(行くべきところに流れた資金)はごくわずかであり、金融化自体がそういう役割を果たしているわけではないとデータを上げて主張する。
 著者の考え方によると、こういった金融化の流れは、そもそも米国と英国に特有の経済システム(著者は「アングロサクソン資本主義」と呼ぶ)によるもので、ローカルなシステムに過ぎなかったが、これが普遍的なものであるという見方が世界中に広められて、その結果押し進められたものだという。つまりアメリカン・スタンダードがグローバル・スタンダードとされたのである。本来、日本には日本独特、ドイツにはドイツ独特の資本主義システムがあったにもかかわらず、いわゆる「構造改革」により、アングロサクソン的な「株主第一主義」(貯蓄ではなく株式投資を推進すべきで、同時に株主に利益を還元すべきという考え方)が徐々に浸透してきた。そしてその結果が、格差の拡大という形で表出しているのが現状である。同時に、世界の経済を破壊してしまうような異常な金融システムができあがってしまった。こういった金融化の傾向にはさまざまな問題があり、それに対して歯止めをかけるべきなのだが、金融勢力が力を付けている現在、歯止めをかけるべき機関までがそれに牛耳られているという状況だという。リーマン・ショックは、ある意味そのための最高の機会だったが、金融化の流れが一時的に後退するものの結局元に戻りつつある。こういう現状ではあるが、著者は、今後どのように進むべきかを指針として示している。
 本書で扱われる内容はきわめて多岐に渡り、正直やや雑多な印象もあるが、それでも内容は非常に濃い。ただ経済関係の、特に金融商品の解説は、金融素人の僕にとってはものすごくわかりにくかった。それに文章も翻訳調で読みづらい。巻末の「謝辞」には、ドーア氏自身が日本語で書いたかのような記述があるが(ドーア氏がこれを日本語で書いたのなら大したものである)、どうも日本人が訳したような印象があり、こなれていない読みづらい翻訳文という感じを受けた。密度が濃かったため最後まで読んだんだが、内容が薄かったら放り出すような読みにくさであった。とは言え、それを差し引いても良書であることには変わりない。
★★★★

参考:竹林軒出張所『100年インタビュー ロナルド・ドーア(ドキュメンタリー)』
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# by chikurinken | 2012-05-16 08:20 |
『鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言』(映画)
鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言
(2012年・『鬼に訊け』製作委員会)
監督:山崎佑次
出演:石橋蓮司(ナレーション)
ドキュメンタリー

 かつて「法隆寺の鬼」と呼ばれた宮大工、西岡常一(故人)へのインタビューをまとめたドキュメンタリー映画。
 僕自身は西岡常一の1ファンであるため、監督の山崎佑次が撮影した西岡常一のビデオをこれまで何本か見ている上、語られていることも他の本ですでに知っていることが多かったのでとりたてて目新しさを感じることはなかったが、この映画で初めて西岡常一に接する人がどういうふうに感じるのだろうかと考えながら見ていた。映画の印象としては全体的に言葉足らずというようなもので、もっと核心を突かんかいと言いたくなるようなもどかしさを少し感じたのだった。
 基本的には、西岡氏の晩年に何度か試みられたインタビューの映像をつなぎ、その間にいろいろなエピソードを挟むという手法で、子息の西岡太郎氏や薬師寺管主、若手の弟子などのインタビューも間に挟まれる。こうすることで西岡氏の人となりを紹介していくというアプローチである。ただやはり、全体的に何となく茫洋とした感じが残り、核心を突いているという印象からはほど遠い気がする。このあたりは、書籍の『宮大工西岡常一の遺言』(竹林軒出張所『宮大工西岡常一の遺言(本)』参照)と共通する(映画の内容もこの本とほとんど同じ)。それに西岡常一を間近で見続けていた直近の弟子である小川三夫のインタビューがなかったのももの足りなかった部分である。
 とは言え、生前の西岡氏の映像がふんだんに出てくる上、実際に部材を仕上げたり、建物(薬師寺の玄奘三蔵院)を組み上げたりする映像が出たりして興味深い映像も多い。それでも全体を通してあまりメリハリがなく、1時間半のドキュメンタリーとしては少々退屈だったのも確かである。死期に近付いて弱っていく西岡氏が少し痛ましくもあった。とにかくあまり良い印象のなかったドキュメンタリーで、少々物足りなさが残る映画であった。貴重な映像も紹介されているが、映像の記録的価値以外はあまり評価できない。
★★★

参考:竹林軒出張所『宮大工西岡常一の遺言(本)』
   竹林軒出張所『棟梁 技を伝え、人を育てる(本)』
   竹林軒出張所『宮大工と歩く奈良の古寺(本)』
# by chikurinken | 2012-05-15 09:28 | 映画
『ターゲット ビンラディン』(ドキュメンタリー)
ターゲット ビンラディン 〜奇襲作戦の全貌〜 前編後編(2011年・英Nutopia)
NHK-BS1 BSドキュメンタリー

 2011年5月の、米特殊部隊によるビンラディン奇襲・殺害事件を米政府側の視点から描いた番組。
 9・11以来ビンラディンの居所をずっと追っていた米政府であるが、ビンラディン周辺は、携帯電話やメールなどを使わずにアナログな方法で情報伝達を行っていたため、なかなか足取りが掴めずにいた(デジタルな方法だと特定が簡単だそうで)。ところが、ビンラディンにもっとも近い連絡係がたまたま携帯電話を使ってしまい、それによってビンラディンらしき人物の居所が特定されてしまう。当初はアフガニスタン山岳地帯の洞窟などに潜んでいるものと思われていたが、実はパキスタン領内の高級住宅街にある邸宅に住んでいた。ただし、このビンラディンと思われる人物、敷地外には一切出ずせいぜい広い庭で散歩する程度で、実のところ本人かどうかはつかめていない。このような状態で、米軍やCIAが乗り出してきて、無人偵察機や衛星を総動員しながら、この居所と人物を監視し始める。こうして1人の人間を殺害するために莫大な予算がつぎ込まれる。このあたりいかにもアメリカ的で、こういうところに僕などは大変な違和感を持つのだが、こういう感覚自体日本人的なのだろうか。
 ともかくそうやって居場所が特定され、監視と本人確認は続けられるが、並行してビンラディン奇襲作戦の準備も始まる。特殊部隊から精鋭部隊が集められ、作戦を練り上げる。同時に、ビンラディンの邸宅に似せた環境を軍施設内に作り上げ、奇襲の訓練を繰り返すのである。この間、政府中枢部の一部の人間以外、ビンラディン関連の作戦であることが明かされていない。またビンラディンの居場所が判明したこともすべて極秘情報になっている。
 そしてとうとう新月の日を狙って「作戦」が決行されることになる。ところがこの時点でも、特定されている「居場所」にいるのが本当にビンラディンかどうか正確にはわかっていない。この人物がビンラディンである確率は50%程度であることがオバマ大統領ら政府首脳に伝えられる。それでも大統領は決行を決意し、5月1日実行に移される。このとき「作戦」に繰り出されたのは、ステルス・ヘリコプター2台(パキスタン軍のレーダーに引っかからないようにするため)と支援のための大型ヘリコプター、60人あまりの特殊部隊である。途中ステルス・ヘリコプターが墜落してしまうというアクシデントはあったが、特殊部隊はそのまま邸宅に乗り込んで、邸内の男たちを殺戮し、ついにビンラディンを追いつめ、その場で殺して、そのまま死体を持ち帰ることに成功する。死体を持ち帰ったのはビンラディン本人であることを特定するためである。最終的にDNA鑑定でビンラディン本人であることが判明して、アメリカ政府にとっては万々歳ということになったのであった。ちなみに墜落したヘリは特殊部隊が爆破させた。住宅街の中だがそんなことはかまわなかったようだ。近隣の住民はさぞかしビックリしたと思う。
 この番組では、以上の過程が時系列で再現され、当事者たちのインタビューが間に挟まれる。インタビューには政府中枢の人間や特殊部隊のトップなども登場する。それになんとオバマ大統領までも登場する。ということは当然、この番組の製作に米政府が絡んでいるはずである。また、ドキュメンタリー風に仕立て上げられているが、断じてドキュメンタリーではない。あくまでも再現ドラマであり、しかも米側の一方的な視点で構成されている。そもそも1人の人間を殺すため、他国の住宅地に軍隊を送り込んで、家に侵入して居住者たちを殺戮することが正しいことか、本来ならそのあたりから検証したいところであるが、すべてが正義という前提で描かれているのだな、これが。こういうあたりがどうにも腑に落ちない。「極悪テロリストを追うランボー」みたいな構図であり、ハリウッド映画であればまだ許されるかも知れないが、しかしこれは実在の人物に対して行われた現実の「作戦」であるという点に注意が必要だと思う。番組はテンポ良く展開し、しかも緊迫感も十分再現されており、非常に質が高い。英国の製作会社が作ったことになっているが、おそらく相当な金額(それに強力な協力体制)が米政府からつぎ込まれたのではないかと推察される。ドキュメンタリーとしてはとんでもないがPRドラマとして見ればよくできているという代物である。で、僕の率直な感想は、アメリカを敵にまわすと恐ろしいな……ということなのであった。アメリカ人の野蛮さがよくわかる再現ドラマだった。
★★★
# by chikurinken | 2012-05-14 08:24 | ドキュメンタリー
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